「与えられた恵み」

エフェソ3:1〜13 舛田信一牧師

エフェソ信徒への手紙はロマ、コリント、ガラテヤ、フィリピの手紙と比べて一つの特徴をもっている。それは個人的救いからもっと大きな視野でとらえている。一節は異邦人信徒に対する情熱的な祈りであり語りかけである。パウロの謙虚で情熱的な態度の原因は一体どこにあるか?三節の「系時によって、、、知らされた」とある。「秘められた計画」つまり奥義だと。「奥義」とはキリスト教信仰でもっとも重要かつ難解な問題で六節の異邦人の救いということである。この六節の事柄が秘められた神の計画であるとパウロは言っている。原典ではミュステリオンでミステリーなる語はここから出ている。奥義は人知を超えたところに存在する。これが神の業なのだとパウロは言っている。
全く神を知らなかった人々(異邦人)にこの神のご計画と御心を知らせる「神から賜った恵みの務め」にあずかる者とさせていただいたと言う。「恵みの務め」は原典ではオイコノミアテス チャリストで前者はエコノミーの語源で国家的莫大な予算を対象とした意味で使われ、チャリストはチャリティーの語源で慈善、恵みを意味している。
私たちは「この福音に仕える者として下さった」(七節)とありクリスチャンの一人ひとりの信仰姿勢を正している。お互いにこの恵みの務めにどのような姿勢で関わっていくかがこのところで問われている。12節「キリストに対する信仰」とは「イエスキリストの信仰(原文)」で(ヘブライ12:2)ピステスは信仰、忠実を意味し「確信をもって」はパレーシアで臆せず、大胆に、あけっぴろげな率直さ、気後れせず主に近づくようにと聖書記者は説いている。 アーメン