『神に愛されてる子供として』

『神に愛されてる子供として』

聖書:エフェソ5:15 舛田信一牧師

 

まず第一に「あなたがたは神に愛されている子供ですから神に倣う者となりなさい」です。

 

何事も実行に移す原動力はその動機にある。と言われる。この神に倣うの「倣う」はミメオマイで修辞学で使われる言葉である。修辞学は理論、模範、練習の三要素から成る。子は親の真似をして育つ。子は親の愛を肌身に感じて育つ。父の厳しさの中に自分を保護し愛をもって育む親の責任感を身をもって学びとるのである。「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ3:16)。父たるものがキリストの愛を体験的に知ることによって子は倣う者となる。

 

 第二に「あなたがたも愛によって歩みなさい」

目に見えない神を愛するとは、キリストによって現された贖罪のみわざ、ここに愛がある。(ヨハネ第一4:10)。このことは十字架によって表明された。それ故昔の聖徒は「十字架を愛して我は生きまた死せん」と歌った程である。

 

 第三に「愛のうちを歩むこと」

それが神に倣うことである。愛は惜しみなく奪うことではなく与え尽くすことである。1941年コルベ神父は「愛のないところには愛をつくりださなくてはならない」とアウシュビッツの餓死刑に処せられようとする友に代わって自ら刑に甘んじた。

 

 第四にエフェソ5:1から「神に倣う」とは神の肖像画になりなさいということ。「御子が現れるとき御子に似た者となるということを知っています」(ヨハネ第一3:23)。

結論 : 御子に倣う者にさせていただこうではないか、アーメン