「善いサマリア人」(ルカによる福音書) 舛田基一牧師
しかし、彼は自分を正当化しようとして
「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。(10章29節)
旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると
その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶ
どう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、
宿屋に連れて行って介抱した。(10章33-34節)
1. なぜ異邦人といわれ嫌われていたサマリア人
が他人であり敵でもあるユダヤ人を助けたのでしょ
うか。33節には「憐れに思い」とあります。この
言葉はルカ15章放蕩息子のたとえの中で、罪にま
みれて死んだも同然の息子を思う父親の痛いほど
の心の内を表すのと同じ言葉です。
ギリシャ語では「スプランクニゾマイ」と言い
ますが、これは聖書の中でキリストにのみ使われ
ています。
痛みを感じながら相手を思いやることが善い隣
人なのですが、自分の正しさを誇っている者[律
法学者]は最もこの基準から遠いといえます。
隣人となって誰かを助けなさい、という話では
ありません。大切なのは、キリストの中に本当の
善き隣人の姿を見ることです。傷つき弱り果てて
いた私の隣人となってくださった。キリストは私
を友と呼び、介抱してくださった。
隣人愛が可能なのは、キリストを信じて救われた
者がその感謝の応答としてなそうとする時にのみ
可能なのです。
キリストと共に「行って同じようにする」のがキリスト者です。