裏切る者と主イエスその2

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教会の庭のバラが咲きました。



聖書 ヨハネ13:18-30

事の起こる前に、今、言っておく。

   事が起こった時、『わたしはある』という

   ことを、あなたがたが信じるようになるた

めである。 

 

  ヨハネの福音書には「私は…である」という

定型文が多くみられます。単なる自己紹介ではなく、

他の偽物との違いをはっきり際立たせるための強調

の意味が込められています。

 イエス様でなければ、愛する弟子の裏切りを知り

ながら愛すること.赦すことなどできなかったでし

ょう。

 最後の最後まで愛し抜かれた(13:1)ことを私た

ちは信じなければなりません。人の普通の感覚では

キリストの愛と赦しは理解できませんから、ただ聖

霊の助けに導かれながら本当のキリストの人格と出

会います。

 他の人が…でも、私は絶対にあなたを見捨てない

し裏切らないよ。あなたが私を捨てても、私はあな

たを最後の最後まで愛し抜くよ。そのようにキリス

トは力強く「私は…である」ことを、罪人に惜しみ

なく明らかにされるのです。

出エジプト3/13「わたしはあってあるものだ」の

言葉は、罪人を救うキリストの中に成就したのです。


舛田基一牧師