「復活の命に包まれて」舛田基一牧師
聖書 ローマ8:31-39
では、これらのことについて何と言ったら
よいだろうか。もし神が私の味方
であるならば、だれがわたしたちに
敵対できますか。
?死の力に対して全く無力であり弱者であった
私たちに、神はキリストを惜しみなく与えら
れた。
キリストを信じるものは十字架と復活の恵みに
あずかる。
今はキリストにある私と言えるのだ。
どんな厳しい戦いであっても弱い者であっても
人間的弱さに縛られていても、一旦強い味方を
得るならば負けることはない。要は誰が味方か
を知ることである。
人生にキリストをお迎えした。これ以上心強い
ことはない。
新共同訳では「私たちは、私たちを愛して下さ
る方によって輝かしい勝利を収めています」
ローマ8章37節
同じところを”勝ち得て余りあり”と口語訳
聖書は表現した。
力強い訳で私は口語訳の方が好きである。
私は弱い、でも
キリストが味方であるならば”勝ち得て余り
あり”である。負けることはない。死に対しても。
ハレルヤ!
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