マタイ5;21-26
「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄
弟に『バカ』と言う者は、最高法院に引き渡され、
『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」
「殺してはならない」
心に芽生えた小さな怒りや憎しみですら、主イエ
スは「殺す」ことであると言われました。極端で大
げさにきこえるでしょうか。律法を完成させるため
に私は来たのだ(マタイ5;17)と主イエスは言われ
ました。
誰も私は殺していない、殺したことはないと言い
訳しても、神はわずかな心の中の殺しにつながる兆
しを見抜いておられるのです。
主イエスの視点は神の国を基準にしています。神
の完全な支配が実現している世界(神の国)は制限
やルールによって(?しない ?しなかった?を守
った)うまれる世界ではありません。
主イエスは古い生き方(律法的)を打ち破り、十
字架を中心にした神の国をもたらしました。
新しい生き方は古い束縛から新しい束縛へ移る
ことではありません。束縛を破るために主イエスは
十字架の道を歩まれたのです。
その道は解放と自由の道です。