「洗礼のすすめ」 舛田基一牧師
聖書 ルカ3章1-6節
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」
1・ 2節「神の言葉が荒れ野でザカリアの子
ヨハネに降った」
神の言葉が降るとは、預言者の仕事が始まった
ことを意味します。権力支配が何重にも重くのし
かかった時代でしたが(ローマ皇帝・総督・領主・
大祭司)、そんなことは一切関係なく神のみ心がみ
言葉となってあらわされます。神の主権だけがす
べてに勝って優先されるのです。
自分の思いや政治思想を語るのが預言者ではな
く、たとえ人々が反発しようとも、神のメッセー
ジを伝える使命にバプテスマのヨハネは生きてい
ます。神の言葉だからこそ、恐れず語り続けるこ
とができました。
私たちは自分を見失っている時は人の言葉に左
右されていることがあります。必要以上の情報が
自分自身の一貫性を損なわせるのです。ヨハネは
全く逆でした。叫んだのです。神の側に立って!
信仰の道は神の言葉の主権の中で導かれていき
ます。迷った時は主の言葉を待ちましょう。主の
言葉が降る時が動き始める時です。