「主を捨てた民」  舛田基一牧師

聖書 イザヤ 11-10

何故、お前たちは背きを重ねなおも打たれようとするのか。

頭は病み、心臓は衰えているのに。

打ち傷、鞭のあと、生傷はめぐわれず、包まれず 油で和らげてもらえない。

 イザヤ書は15預言書の冒頭に位置し預言書の゛創世記゛と呼ばれるほど内容は豊かで読む者を圧倒する。

厳しい裁きのメッセージから始まるのだが、その背後には罪で傷つき倒れている民への慈愛に満ちた神の眼差しがある。

 神を捨てたのは民〔私たち〕である。

にもかかわらず神は決して捨てようとされない。

忍耐を示し助けを与えようとされる。単に責められるだけならば、人は決して変わらない。かえって開き直り反抗するか委縮するか逃げるか。

そんな救いようのない私たちから神は離れない。愛を示されるのだ。

6節「油で和らげ・・・」

良きサマリヤ人は惜しみなく持っていた油を差し出した。

傷ついたまま生きることは神のみ心ではない。

信じよう。

傷ついた大地も人もすべて神は癒し回復させてくださると。

神の物語は罪で終わらない。

神の救いの情熱、神の本気さが預言書には溢れているのだ。