「なぜ笑ったのか」  舛田基一牧師

 

聖書 創世記 18章1-15節

    「サラはひそかに笑った。自分は年を

        とり、もはや楽しみがあるはずもなし、

        主人も年老いているのに、と思ったから

        である」。

 

1.アブラハムやサラの信仰をほめたたえることが

創世記の目的ではありません。神の救いを与える

という約束も人を導こうとされる神の忍耐も、弱い

人間の小さな小さな信仰をはるかに超えて力強い

ということです。

 

 18章14節「主に不可能なことがあろうか」

 

信仰の最高モデルといわれるアブラハム・サラ夫妻

ではあっても神の約束を笑いました。本気で信じき

ることはできませんでした。それを神様は知ってお

られましたが、怒らないで彼らを憐れんでくださっ

たのです。

信仰がどれだけ強いか立派かではなく、「罪汚れが

いや増すとも主の恵みもいや増すなり」<新聖歌376>

といえる方が幸いなのです。