今年の12月24日のクリスマスイブ礼拝は、

今年の12月24日のクリスマスイブ礼拝は、

ジョイフルタイム!



クリスマスは大忙しなのが教会ですが、




もう今年もあと残すところわずかです。そんで

「洗礼のすすめ」 舛田基一牧師
聖書 ルカ3章1-6節
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」
1・ 2節「神の言葉が荒れ野でザカリアの子
ヨハネに降った」
神の言葉が降るとは、預言者の仕事が始まった
ことを意味します。権力支配が何重にも重くのし
かかった時代でしたが(ローマ皇帝・総督・領主・
大祭司)、そんなことは一切関係なく神のみ心がみ
言葉となってあらわされます。神の主権だけがす
べてに勝って優先されるのです。
自分の思いや政治思想を語るのが預言者ではな
く、たとえ人々が反発しようとも、神のメッセー
ジを伝える使命にバプテスマのヨハネは生きてい
ます。神の言葉だからこそ、恐れず語り続けるこ
とができました。
私たちは自分を見失っている時は人の言葉に左
右されていることがあります。必要以上の情報が
自分自身の一貫性を損なわせるのです。ヨハネは
全く逆でした。叫んだのです。神の側に立って!
信仰の道は神の言葉の主権の中で導かれていき
ます。迷った時は主の言葉を待ちましょう。主の
言葉が降る時が動き始める時です。
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幼児祝福式礼拝
「12歳のイエス」 舛田基一牧師
聖書 ルカ 2章41-52節
「どうしてわたしを捜したのですか。
わたしが自分の父の家にいるのは
当たり前だということを、知らなかった
のですか。」
1 主イエスの少年時代についてはルカ2章にの
み記されています。12歳のイエスは心身が強くな
り、知恵が満ちています。
神の恵みがその上にあり、神と人から愛された
とあります。私たちと同じ「成長」を経験してく
ださったのです。決して大人のような子供ではな
く、他の少年と同じであったのです。人と全部同
じになってくださるのです。人の性質を持ってお
られたからこそ主イエスの言葉は私たち人間の心
と魂に届くのです。
2 両親ヨセフとマリアは息子イエスと神との特
別な関係を十分理解していませんでした。行方不
明になったイエスを”自分の子供”として心配し
ています。親として当たり前のことですが、逆に
本当の親とは誰なのか?本当に子を養い育てる
のは誰なのか?が問われるのです。真の自立・成
長とは両親から離れ、父なる神との関係に目覚め
ていくことなのです。子どもたちの中心に「神様
と私」の世界がうまれてくることを信じて祈りま
しょう。
「そして彼は死んだ」 舛田基一牧師
聖書 創世記 5章1-24節
エノクは65歳になったとき、メトシェラを
もうけた。エノクは、メトシェラをが生まれた後、300年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。
エノクは神と共に歩み、神が取られたので
いなくなった。
系図には「長生き」と同時に「そして死んだ」
が繰り返されています。祝福のしるしである長寿
ではあっても罪に支配された人の現実があります。
罪の支払う報酬は死です(ローマ6章23節)
エノクは他の人に比べずいぶん短命ですが、「神と
共に歩む」生涯をおくり、死をしらないまま神のも
とに召されました。最後は「死」ではない特権はエ
ノクだけの恵みではありません。
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと
一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)
主イエスは罪で死ぬ必要はない方でしたが、罪に
死ぬ私たちと共に十字架で苦しまれ、最後には死の
むこうにある平安を約束くださったのです。信仰に
よって生きたエノクのように、私たちも死の力に打
ち勝った主イエスと
婚約式がありました。
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秋のお楽しみ会がありました。


11月の祈祷
どうかこれを聞き、読み、学んで魂の養いとさせて下さい。
み言葉によって強めて下さい。
11月の聖句
“霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください。」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、値なしに飲むがよい。
(ヨハネの黙示録 22:17)