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「主の栄光が周りを照らす」

 

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2010.12.19 クリスマス燭火礼拝

「主の栄光が周りを照らす」舛田基一牧師

 

聖書 ルカ2:8-20

 

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら夜通

し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使

が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼

らは非常に恐れた。」

 

1.     天使のお告げを聞いて、はじめ羊飼いたちは

恐れました。しかし、恐れて逃げたのではなく、

本気でお告げを受けとめます。すばらしいのは

「さあ、ベツレヘムへ行こう」という応答です。

主が知らせてくれたメッセージを信じ、仕事を

いったん置いて出発したのです。もし彼らが恐

れ、疑い、心閉ざすならばクリスマスの目撃者に

なれませんでした。

 本気で聞き、具体的に立ち上がり、一つ一つ

洞窟を調べたのです。

 羊を飼う仕事は、不遇な状況に置かれること

が多く、命を失うほどの重労働でした。大変な

仕事にも関わらず、自分たちこそ正しいユダヤ人

だと考える人々からは軽蔑されていました。

 彼らの状況を知っておられる方が、飼い葉お

けに眠る乳飲み子が、神の福音に対して彼らが

やわらかな魂で応答することを知っておられまし

た。暗闇の世界から引き出してくださったのです。

神の呼びかけと、それに応える人との間に主イ

エス様は生まれてくださったのです。

ハレルヤ!

 

「贖わねばならない」  舛田基一牧師

 

 

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エジプト13章11-16

  13:1 主はモーセに仰せになった。

     「すべての初子を聖別して 

                わたしにささげよ。」

  13:15 「初子は必ず贖うのである。」

 

聖書で初子は特別な意味があります。エジプ

トから脱出する際、最後まで神に逆らったエジプ

トには神の裁きがくだりました。(出エジプト7章

以下)十の災いと呼ばれるものですが、第十番目の

災いは天変地異の災とは比べものにならないほど

おそろしい裁きでした。すべての初子の命が失わ

れたのです。

 しかし、イスラエルの初子は一人も失われるこ

とはありませんでした。

 初子とは最初の大事な子という意味で、すべて

の子を象徴すると同時に家族全体を表します。未

来への希望であり、神の祝福のしるしです。イス

ラエルの民は出エジプトの体験は罪からの救いで

あると確信していましたから、初子が救われた背

景には尊い血が支払われた(贖い)と理解したのです。

 

贖いとはもともとの意味は代価を支払って所有

権を移すということです。

 

 福音は主イエスさまが罪の贖いのしるしとなっ

てくださったから、主を信じる者は許されたもの、

新しい命を生きるものですよ、と教えています。

贖い主なるキリストを心からよろこび賛美しまし

ょう。

「神の恵みは無駄にならず」

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↑クリスマス礼拝に向けて子供達の練習風景

「神の恵みは無駄にならず」舛田基一牧師

 

「神の恵みによって今日の私があるのです。

   そして、わたしに与えられた神の恵みは 

   無駄にならず・・」   <10節>

聖書 1コリント15:1-11

 

1・福音の中心をパウロは四つのキーワードで

説明します。キリストは 

 1、死なれた  

 2、葬られた  

 3、三日目に復活された 

 4、現れた

この四つのうち一つでも欠けたなら福音とはい

えません。十字架の贖いを信じても、贖いの確

かさの保証は復活ですから、それをあいまいにし

ていては神の福音は無駄になってしまいます。

ギリシャのアテネの人々には(使徒言行録17/16)

十字架の話は伝わっても復活のメッセージは届き

ませんでした。

 

2・顕現の順番

 1、五百人以上の兄弟たち

 2、ヤコブ(主イエスの弟)

 3、11人の弟子たち

 4、小さな者・使徒と呼ばれる値打ちのない者・

   生まれそこないのような者?それが私パウロ

 

パウロは最後に復活のキリストに出会った人物

です。失敗の過去を素直に認めながらも、それ

をマイナスとせず神の恵みによって(10節)プラ

スにしました。「神のめぐみによって私は・・」

と言える人は幸いです。

 

「枕する所もないお方」

 

「枕する所もないお方」  舛田基一牧師

 

聖書 マタイ8;18-22

 「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。

  だが、人の子には枕する所もない。」

 

1・ ある律法学者がやって来て、イエス様に言い

ました。「先生、あなたがおいでになる所なら、ど

こへでも従って参ります。」

 物事の表面しか見えず、性急に申し出てきたこ

の人物に、イエス様は従うということがどういう

ことかを教えられました。

 

 さすらい癖のある狐でさえ、自分が帰る穴はち

ゃんとある。空の鳥はいろいろなところを飛び回

っているが、自分のねぐらを持っている。しかし、

私には安心して憩える家はないのだよ。それを知

っていますか?

 

 イエス様は罪人と出会い、救うという人生を歩

まれました。傷つき倒れる者の善き隣人となら

れました。100%の献身でした。にも関わらず、多

くの人は最初はキリストを歓迎しましたが、最後

は邪魔者扱いをしたのです。それでも、主は赦し

と愛を惜しみなく示されました。だから、私たち

はこう祈りましょう。イエス様ごめんなさい(何も

わからないでいたことを)、イエス様ありがとう

(罪から救ってくださって)。

 

11月の祈祷と聖句

11月の祈祷

私たちの咎をになわれた主よ。私たちが義とされる道がほかにないことを宣べ伝える者として下さい。

 

11月の聖句

今よりも後も、わたしこそ主。わたしの手から救い出せる者はない。 わたしが事を起こせば、誰が元に戻しえようか。    (イザヤ43:13)

「私が与える水」






 

「私が与える水」   舛田基一牧師
聖書 ヨハネ4章7-14

 

「この水を飲むものはまた誰でもまた渇く。

しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。」ヨハネ414

 

 サマリアの女が本当に求めるべきものは、まことの礼拝をささげる対象でした。

キリストに出会う時、誰を礼拝するべきかはっきりします。

心身ともに渇いて迷いの中にある者を神探して見つけ出してくださいます。<ルカ15>

 

人間の側からではなく、神の側から礼拝する民を求めておられます。<23>

「なぜなら父ここのように礼拝する者を求めておられる」

 

主イエス様はサマリアの女性と出会うために井戸に来られました。

ひとつの出会いが人生を変えます。


主イエスの呼びかけに応答するところに、礼拝が生まれ、賛美と喜びが生まれます。

民族も性別も地域も時代も関係ないのです。

信仰をもって主の言葉を聴くならば、重い人生の十字架を背負っている人も救われ、

必ず真の礼拝者に変えらます。ハレルヤ!

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真は、日曜学校の教師会のもの。

子供の礼拝のために、真剣にミーティングしています。

「善いサマリア人」 (ルカによる福音書)

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「善いサマリア人」(ルカによる福音書)  舛田基一牧師

 

  しかし、彼は自分を正当化しようとして

「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。(10章29節)

旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると

その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶ

どう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、

宿屋に連れて行って介抱した。(10章33-34節)

 

1.    なぜ異邦人といわれ嫌われていたサマリア人

が他人であり敵でもあるユダヤ人を助けたのでしょ

うか。33節には「憐れに思い」とあります。この

言葉はルカ15章放蕩息子のたとえの中で、罪にま

みれて死んだも同然の息子を思う父親の痛いほど

の心の内を表すのと同じ言葉です。

 

 ギリシャ語では「スプランクニゾマイ」と言い

ますが、これは聖書の中でキリストにのみ使われ

ています。

痛みを感じながら相手を思いやることが善い隣

人なのですが、自分の正しさを誇っている者[律

法学者]は最もこの基準から遠いといえます。

 隣人となって誰かを助けなさい、という話では

ありません。大切なのは、キリストの中に本当の

善き隣人の姿を見ることです。傷つき弱り果てて

いた私の隣人となってくださった。キリストは私

を友と呼び、介抱してくださった。

 

 隣人愛が可能なのは、キリストを信じて救われた

者がその感謝の応答としてなそうとする時にのみ

可能なのです。

キリストと共に「行って同じようにする」のがキリスト者です

「教会は箱舟」  

 

神はノアに言われた。

「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。

彼らのゆえに不法が地に満ちている。

見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」
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創世記6章5-22

  イエス様はノアについて次のように言われました。

「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。

洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、

人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。」

(マタイ24/38)

ノアは人々が世の楽しみや快楽第一の生活にある中で、

神の言葉を聴き従って箱舟をつくっていたのです。

その長さは約150m・幅約25m・高さ約15mの巨大なものでした。

気楽に取り組めるような事業ではなかったのです。

全生涯を捧げる覚悟なくしては到底完成にこぎつけない難事業でした。

神の言葉を聴いて、神の命じるままに手のわざを果たしたノアこそ、

私たちの目指すべきクリスチャンライフのモデルです。

「旅するアブラハム その2」

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         教会の十字架 (リフォーム中の屋上からの撮影)




「旅するアブラハム その2」舛田基一牧師

 

「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」  

              創世記12章4節

 

1.アブラハムという名前には、単なる個人以上の

意味が込められています。

古代へブルの世界では、アブラムという名は族長

を代表とする種族全体をあらわしていました。

 

アブラムがハランを旅立ったとありますが、そ

れはアブラムを長とする群れ全体が神に従ったこ

とを意味するのです。

 

いつも大きな責任を背負うアブラハムでしたが、

神の言葉を群れの代表として聴いていたのです。

 

私たちも神の言葉を聴く時、関わりのある隣人

に祝福が及ぶことを期待しましょう。

 

古いようですが旧約的な個人と全体を切り離さ

ない考え方は、最も安心できる人間関係の理想で

す。

アブラハムの信じる神を、その家族や仲間は信

じたのです。

 

今だ何も見ていないし与えられていないのに、

神の言葉だけを信じてあたかも与えられているか

のように確信して行動した父に、人々は従いまし

た。

 

神を信じる者は、本当の意味で人々から信頼され

尊敬されるのです。

「旅するアブラハム」

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「旅するアブラハム」  舛田基一牧師

 

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故

郷父の家を離れて私が示す地に行きなさい。」

                 12章1節

 

?     私が示す地を直訳すると私が見せる地、となり

ます。神様が責任をもって見せる地があるという

のです。

アブラムは(故郷)(親戚・友人)(父)(家)を一つ

一つ手離します。神様の見せてくださる地を目指

して新しい出発をするためでした。

どうして行先がわからないで出発すること(旅に

出る)ができたのでしょうか。神様に信頼していた

からです。

神に従う信仰がアブラムの旅のすべてです。将

来が見えなくて不安でも、神様が見せてくださる

(未来)があることを信じましょう。今はわから

なくても、示される主の道を歩んでいきましょう。