「メッセージ・あかし」カテゴリーアーカイブ

「サラと呼びなさい」 舛田基一牧師

聖書 創世記 17章15-26節

  「あなたの妻サライは、名前をサライではな

く、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝

福し、彼女によってあなたに男の子を与え

よう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母

とする。諸民族の王となる者たちが彼女か

ら出る。」

 

1.夫アブラムの名前がアブラハムと変わったよう

に、妻サライも名前がサラとなります。妻も祝福の

器とするという神の約束でした。一人の信仰の決心

は家族への祝福となります。

 

 使徒16章30節「主イエスを信じなさい。そう

すれば、あなたも家族も救われます。」神の目からは、

以前の古い人[アブラムとサライ]ではなく、神によ

って新しくされたアブラハムとサラなのです。

 

依然として古い自分に悩まされても、すでに主の

ものとされている。神の祝福をいただき、主の永遠

の召しにおかれている。神はその人を祝福され、そ

の人を通して神の祝福が家族へひろがっていくこと

になります。

 

その人は新しく造られた者と呼ばれるのです。古

い者を新しくしてくださる神様の恵みを覚えて信仰

の父・信仰の母・信仰の子の道を歩みましょう。

「アブラムからアブラハムへ」 舛田基一牧師

聖書 創世記 17章1-8節

   「あなたは、もはやアブラムではなく、

    アブラハムと名乗りなさい。」

 

1. 信仰の父と呼ばれ多くの尊敬を集めるアブラハ

ムの再出発です。それまでのアブラム<意味は賞賛

された父>からアブラハム<意味は多くの民の父>

と名が変わります。

 

 実際のところ、長年にわたって実の子は与えら

れませんでした。ハガルに産ませた息子イシュマ

エルは13歳になっていました。目に見える現実

は厳しいものでしたから、神様の祝福の約束を信

じることは困難でした。葛藤と悩みが常に重たく

のしかかっていたことでしょう。

 

 しかし、そんな弱いアブラムに対しても神様は

まっすぐに向き合い、呼びかけてくださいました。

なぜ?どうして?とうめきながら、アブラムの信

仰はさらに主を深く求め、強く豊かにされていき

ます。

 

 主の訓練でしょうか。たしかにアブラムは霊的

に成長しながら、アブラハムと呼ばれるにふさわ

しい器へと変えられていくのです。

<ローマ5章3-5節>

「イエス・キリストからの恵みと平和」 舛田基一牧師

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          ローマ8:26-30

   「神を愛する者たち、つまり、御計画に

   従って召された者たちには、万事が益

   となるように共に働くということを、わた

したちは知っています。」

イザヤ25:4-10

    「主はこの山で すべての民の顔を包ん

でいた布とすべての国を覆っていた布を

滅ぼし死を永久に滅ぼしてくださる。」

 

平和のために

 敗戦後70年近くたちますと、本当の戦争を体験

された世代の方々は高齢期を迎えられたこともあ

り、ゆっくりとお話しを伺う機会はほとんどなくな

りました。

 好むと好まざるとにかかわらず、戦争を経験し

てきた人々の声を聞きながら、追体験することが

必要です。戦争は決してカッコいいものではない

ことを。勝つか負けるかの勝負ごとではないとい

うことを。命を殺める罪であることを知らなけれ

ばなりません。

 教会も地の塩・世の光として戦争反対の立場を

とると同時に、平和のために祈ります。

 平和は人の知恵や努力によらず、神から

与えられるものであり、神の望んでおられる

ことであることを次代を負う人々に伝えましょう。

喜びの変奏曲



チャリティコンサートのために韓国から来日された「4本指のピアニスト」、イ・ヒアさんの演奏を聴きました。

 

その音の力強さもさることながら、何よりも圧倒されたのはイ・ヒアさんの明るさです。

作り笑顔ではないスマイル、聞いている人を和ませるトーク・・・

“皆さんと一緒にいられてうれしい!”という気持ちが全身から伝わってきて、この人のそばで不機嫌でいることはできないのでは?!と思うほどでした。

 

「聴く皆さんにとって喜びの変奏曲になりますように」と語ってピアノを弾いてくれたイ・ヒアさん。

その願いが叶ったことは、コンサート後の雰囲気が物語っていました。

受付ボランティアをしていた私に、お客様のお一人が「温かい雰囲気で本当に良かった、来て良かった」と声をかけてくださいました。お母さんに連れられてきていた男の子は、にっこり笑って握手をしてくれました。他にも笑顔で会場を後にされたお客様をたくさんお見かけしました。

(なかなか会場を離れない私たちに、警備員の方はやきもきされていましたが・・・)

 

日常生活の中では簡単にかき消されてしまうかもしれませんが、かすかな音であっても、喜びの変奏曲が長く奏でられますように。

「心からあふれ出るもの」

 

 

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「心からあふれ出るもの」舛田基一牧師

 

聖書 ルカ6章43-49

「善い人は良いものを入れた心の倉から善いも

のを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪

いものを出す。人の口は、心からあふれ出るこ

とを語るのである。」 (6章45節)

 

1  どんなに良い実を願っても、悪い木のままでは

絶対に良い実を結べません。主イエス様の救いをい

ただく時に、悪い木は良い木に代えられます。

 

イエスさまの目には、この世には一本たりとも良い

木はなかったのですが、罪を抱えたままの私たちを

イエス様は受け入れて導いてくださいました。

悪い木<罪人>なのに良い実を実らせたいと願う矛盾

に悩み、すぐに行き詰る私たちを主は見捨てません。

悪い実を望んでおられないからです。私たちを通し

て良い実を結ばせようとお考えだからです。

 

2「救われる」時、人は心の倉から良いものを出す

ことができるようになります。旧約聖書の「救い」

(イーシャー)には自分の中に”新しい部屋を探す”

という意味があります。つまり自分以外の何者かに

なるというのではなく、自分の中に自分では気づか

なかった部屋があって、それを神は教えてくださる

というのです。祝福された新しい部屋の扉を主イエ

スはノックしてくださるお方です。心の倉〔新しい

部屋〕に主イエスさまをお迎えしましょう。

8月の祈祷と聖句

8月の祈祷

真理と平和の源である全能の神よ。全ての人の心に平和を愛するまことの愛を燃やし、国々の交わりに携わる人々の心に平和を造り出す知恵を与えてください。

 

8月の聖句

 

主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように

翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。      (イザヤ40:31)

 

 

「神の子として」  舛田基一牧師

聖書 フィリピ2:12-18

「とがめられるところのない清い者となり

、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころ

のない神の子として、世にあって星のように

輝き・・」

 

?子どもとして

 神様は私たちを子どもとして受け入れて下さいま

した。神の子供と呼ばれる資格は何もないにもかか

わらず、イエス・キリストの贖いによって罪を赦し

て、神の子と呼んでくださいます。不十分で未熟で

すが私たちの存在を喜んでくださる。親が愛する子

を愛の眼でみつめるように。

いつも愛されている者として

心が満たされて安心です。一人ではない、神さまが

共にいて下さる。だから心強いのです。

 

子どもとしての素直さを失ってはなりません。

神に愛され、神と和解していることを信じましょう。

子として父にお願いし、父に甘え、父に叱られたら

いいのです。父は子のためなら惜しみなく与えよう

とされるからです。

 

父と子の交わりが回復しているとは、ありのまま

の私で生きられることを意味します。

 これが喜びでなくてなんでしょうか。感謝と賛美

を父なる神さまにささげましょう。神の子とされた

喜びに満ちて!

 


 
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写真は、教会屋上プールで遊ぶ子供たち。

「毒麦のたとえ」  舛田基一牧師

聖書 マタイ13章24-30節

 

 主人は言った。『いや、毒麦を集める時、麦まで

いっしょに抜くかもしれない。刈り入れまで、

両方育つままにしておきなさい。』

 

?なぜ?主人は毒麦をそのままにしておきなさい

と命じたのでしょうか。せっかく良い麦が育って

いるのですから、悪い敵が蒔いた毒麦が気になる

のは当然です。

 

 毒麦という言葉は「幻覚を起こさせる」という意

味があります。

 敵の目的は、善い働きを妨害することにあるので

す。嫌な事が日常に起こってしまい安心できない状

況がうまれても、それをちゃんと神様は知ってお

られるのです。

 

 だから、今までと同じように誠実な思いと祈り

によって良い麦を育てることをやめてはなりません。

  神の国とは無力なように見えながら、約束され

た最後の勝利にむかって進展しているのです。

 

たゆまず善を行いましょう。

飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取る

ことになります。

  ガラテヤ6章9節


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父の日の記念写真です。

「一羽の雀」   舛田基一牧師

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写真 今日は洗礼式がありました。


聖書 ルカ12:1-7

 「五羽の雀が二アサリオンで売られているでは

ないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れに

なるようなことはない。」

 

?     ドイツの地方都市ドレスデンのアルテ・マイス

ター絵画館で偶然マルチン・ルターの肖像画を発見

しました。

 小さな絵でした。手には聖書がありました。宗教

改革運動の中心人物ルターでしたが、彼は権威や権

勢とは無縁でした。しかし、一羽の雀さえ目を留め

て下さる神様に信頼していましたから、当時の堕落

している教会を改革(リフォーム)する働きができた

のです。

 

「ルターの説教より」

見よ、神は鳥たちを私たちの師匠とされた。

福音書は人類最高の智者・説教者として一羽の雀を

与えた、と言っている。まことにおそるべき神の

知恵である。・・・中略

 天地を造られたこの世界に、

神が養っておられる無類の鳥が住むこの世界に、

私は住めることを心から喜ぶ。





。

「涙ながらの手紙」

 

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「涙ながらの手紙」  舛田基一牧師

 

聖書 2コリント1:23-2:11

 「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながら

に手紙を書きました。あなたがたを悲しませるため

ではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほ

ど抱いている愛を知ってもらうためでした。」

 

1・愛するコリント教会から、心ない批判をパウロは

受けました。しかし、怒りにまかせて裁いたり、正

しさを主張することはありませんでした。

 彼はまず神に向かい合い、祈ったのです。

1;23「神を証人に立てて、命にかけて誓います」

 人の事よりも、目の前の問題よりも、まず神の前

に祈ることを優先する。どんなに忙しくても、朝主

の前に祈りましょう。たとえ10秒でも1分でも。

 

2・パウロは、相手を配慮する人でした。相手の心に

何が届いているか。自分の存在が隣人にどんな影響

を与えているか。愛するために、今日1日を生きて

いるか。他者の心に喜びを届けるために私は存在し

ている、と彼は信じていました。

彼はコリント教会を恨んだり憎むのではなく、心底

彼らを思い、心配し、愛の配慮を続けました。

 

三浦綾子著「綾子・光世 響き合う言葉」より

 人間の愚かさは、決して命令やきびしさで直すこ

とはできない。心のしこりを融かすものは、寛容で

あり愛である。

共に荷を負ってくれる忍耐である。