11月の祈祷
どうかこれを聞き、読み、学んで魂の養いとさせて下さい。
み言葉によって強めて下さい。
11月の聖句
“霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください。」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、値なしに飲むがよい。
(ヨハネの黙示録 22:17)
11月の祈祷
どうかこれを聞き、読み、学んで魂の養いとさせて下さい。
み言葉によって強めて下さい。
11月の聖句
“霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください。」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、値なしに飲むがよい。
(ヨハネの黙示録 22:17)
聖書 詩編84・1-5節
「主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうで
す。命の神に向かって、わたしの身も心も叫び
ます。」
1・賛美礼拝
神様の恵みを受けた私たちは”黙っていられない゛
おもいから神様に賛美を捧げます。
主の庭を慕う〔84編3節〕の「慕う」という言葉は
人が愛する者に対して心ひかれて自分の思いを相手
に届けようとする意味です。
相手を慕うあまり自分のすべてをかけてでも応答し
ようとする強い姿勢があらわれています。
愛される喜びが相手を慕う思いへと広がります。
これが賛美です。そんな思いでこれからも、いつま
でも教会で神様に賛美しつづけましょう。
10月の祈祷
主イエスキリストは私たちに「受けるよりも与えるほうが幸いです」と教えられました。主にならって寛容の精神と私心のない奉仕によって常に主の栄光をあらわせますようにお助け下さい。
10月の聖句
わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。
(エゼキエル36:25)

聖書 ルカ2章36-38節
夫に死に別れ、84歳になっていた。
彼女は神殿を離れず、断食したり
祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた…
神殿という聖なる場所ではじめて主イエスさまを
救い主と認め礼拝したのは高齢者シメオンとアンナ
です。「この僕を安らかに去らせてくださいます」と
ありますが、救いにあずかり福音を信じた者の姿が
ここにあります。人生の終盤ですが心満され、喜びと
平安があふれています。
信仰生活に引退はありません。神様は高齢者を用いて
下さいます。生涯現役で神の家(教会)に集まり、祈り、
賛美します。それは若い人たちの人生の目標となり信仰
者の模範となります。
アンナさんは夫と死に別れてから長い年月ひとりで
過ごしてきましたが、彼女の心の中心は「寂しさ・虚し
さ」ではなく「救い主を待ち望む」という希望でした。
老いてなおその希望が彼女を支えたのです。
いつまでも残るものはイエス・キリストにある
「信仰 希望 愛」です。
聖書 創世記 18章1-15節
「サラはひそかに笑った。自分は年を
とり、もはや楽しみがあるはずもなし、
主人も年老いているのに、と思ったから
である」。
1.アブラハムやサラの信仰をほめたたえることが
創世記の目的ではありません。神の救いを与える
という約束も人を導こうとされる神の忍耐も、弱い
人間の小さな小さな信仰をはるかに超えて力強い
ということです。
18章14節「主に不可能なことがあろうか」
信仰の最高モデルといわれるアブラハム・サラ夫妻
ではあっても神の約束を笑いました。本気で信じき
ることはできませんでした。それを神様は知ってお
られましたが、怒らないで彼らを憐れんでくださっ
たのです。
信仰がどれだけ強いか立派かではなく、「罪汚れが
いや増すとも主の恵みもいや増すなり」<新聖歌376>
といえる方が幸いなのです。
聖書 創世記 17章15-26節
「あなたの妻サライは、名前をサライではな
く、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝
福し、彼女によってあなたに男の子を与え
よう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母
とする。諸民族の王となる者たちが彼女か
ら出る。」
1.夫アブラムの名前がアブラハムと変わったよう
に、妻サライも名前がサラとなります。妻も祝福の
器とするという神の約束でした。一人の信仰の決心
は家族への祝福となります。
使徒16章30節「主イエスを信じなさい。そう
すれば、あなたも家族も救われます。」神の目からは、
以前の古い人[アブラムとサライ]ではなく、神によ
って新しくされたアブラハムとサラなのです。
依然として古い自分に悩まされても、すでに主の
ものとされている。神の祝福をいただき、主の永遠
の召しにおかれている。神はその人を祝福され、そ
の人を通して神の祝福が家族へひろがっていくこと
になります。
その人は新しく造られた者と呼ばれるのです。古
い者を新しくしてくださる神様の恵みを覚えて信仰
の父・信仰の母・信仰の子の道を歩みましょう。
聖書 創世記 17章1-8節
「あなたは、もはやアブラムではなく、
アブラハムと名乗りなさい。」
1. 信仰の父と呼ばれ多くの尊敬を集めるアブラハ
ムの再出発です。それまでのアブラム<意味は賞賛
された父>からアブラハム<意味は多くの民の父>
と名が変わります。
実際のところ、長年にわたって実の子は与えら
れませんでした。ハガルに産ませた息子イシュマ
エルは13歳になっていました。目に見える現実
は厳しいものでしたから、神様の祝福の約束を信
じることは困難でした。葛藤と悩みが常に重たく
のしかかっていたことでしょう。
しかし、そんな弱いアブラムに対しても神様は
まっすぐに向き合い、呼びかけてくださいました。
なぜ?どうして?とうめきながら、アブラムの信
仰はさらに主を深く求め、強く豊かにされていき
ます。
主の訓練でしょうか。たしかにアブラムは霊的
に成長しながら、アブラハムと呼ばれるにふさわ
しい器へと変えられていくのです。
<ローマ5章3-5節>
ローマ8:26-30
「神を愛する者たち、つまり、御計画に
従って召された者たちには、万事が益
となるように共に働くということを、わた
したちは知っています。」
イザヤ25:4-10
「主はこの山で すべての民の顔を包ん
でいた布とすべての国を覆っていた布を
滅ぼし死を永久に滅ぼしてくださる。」
平和のために
敗戦後70年近くたちますと、本当の戦争を体験
された世代の方々は高齢期を迎えられたこともあ
り、ゆっくりとお話しを伺う機会はほとんどなくな
りました。
好むと好まざるとにかかわらず、戦争を経験し
てきた人々の声を聞きながら、追体験することが
必要です。戦争は決してカッコいいものではない
ことを。勝つか負けるかの勝負ごとではないとい
うことを。命を殺める罪であることを知らなけれ
ばなりません。
教会も地の塩・世の光として戦争反対の立場を
とると同時に、平和のために祈ります。
平和は人の知恵や努力によらず、神から
与えられるものであり、神の望んでおられる
ことであることを次代を負う人々に伝えましょう。
チャリティコンサートのために韓国から来日された「4本指のピアニスト」、イ・ヒアさんの演奏を聴きました。
その音の力強さもさることながら、何よりも圧倒されたのはイ・ヒアさんの明るさです。
作り笑顔ではないスマイル、聞いている人を和ませるトーク・・・
“皆さんと一緒にいられてうれしい!”という気持ちが全身から伝わってきて、この人のそばで不機嫌でいることはできないのでは?!と思うほどでした。
「聴く皆さんにとって喜びの変奏曲になりますように」と語ってピアノを弾いてくれたイ・ヒアさん。
その願いが叶ったことは、コンサート後の雰囲気が物語っていました。
受付ボランティアをしていた私に、お客様のお一人が「温かい雰囲気で本当に良かった、来て良かった」と声をかけてくださいました。お母さんに連れられてきていた男の子は、にっこり笑って握手をしてくれました。他にも笑顔で会場を後にされたお客様をたくさんお見かけしました。
(なかなか会場を離れない私たちに、警備員の方はやきもきされていましたが・・・)
日常生活の中では簡単にかき消されてしまうかもしれませんが、かすかな音であっても、喜びの変奏曲が長く奏でられますように。

「心からあふれ出るもの」舛田基一牧師
聖書 ルカ6章43-49
「善い人は良いものを入れた心の倉から善いも
のを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪
いものを出す。人の口は、心からあふれ出るこ
とを語るのである。」 (6章45節)
1 どんなに良い実を願っても、悪い木のままでは
絶対に良い実を結べません。主イエス様の救いをい
ただく時に、悪い木は良い木に代えられます。
イエスさまの目には、この世には一本たりとも良い
木はなかったのですが、罪を抱えたままの私たちを
イエス様は受け入れて導いてくださいました。
悪い木<罪人>なのに良い実を実らせたいと願う矛盾
に悩み、すぐに行き詰る私たちを主は見捨てません。
悪い実を望んでおられないからです。私たちを通し
て良い実を結ばせようとお考えだからです。
2「救われる」時、人は心の倉から良いものを出す
ことができるようになります。旧約聖書の「救い」
(イーシャー)には自分の中に”新しい部屋を探す”
という意味があります。つまり自分以外の何者かに
なるというのではなく、自分の中に自分では気づか
なかった部屋があって、それを神は教えてくださる
というのです。祝福された新しい部屋の扉を主イエ
スはノックしてくださるお方です。心の倉〔新しい
部屋〕に主イエスさまをお迎えしましょう。