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『キリストのそばに』

マルコ3:13-19
「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。」

1. 13節「これと思う・・を呼び寄せ」上記の聖書のことばは口語訳聖書では「みこころにかなった人たちを呼び」となります。
ギリシャ語をそのまま直訳してみますと「ご自身が欲しいと望んだ人々に声をかけた」となります。
どちらがいいか簡単には言い切れませんが、口語訳では選びの基準&条件が厳しいような印
象を与えます。新共同約聖書では「これと思う・・     」となりました。よりイエス様の思いを強調
しているわけです。ルカ福音書6:12-では弟子を選ぶにあたり、山で徹夜の祈りをささげているイエス様の姿があります。

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2. 私たちがイエス様のそばに集められた背後には、イエス様の熱心な祈りがあったこと。そしてイエス様の心の深いところから「あなただ、他の誰でもなくあなただ!」と思ってくださった事実があった。すべてのはじまりはイエス様の私たちへの思い〈選び〉からです。

なぜ私なのか?理由はわかりませんが、イエス様の呼びかけに私たちは応答した〈揺り動かされた〉のです。    舛田基一牧師

満ちあふれる豊かさ

 

エフェソ4:4〜13
舛田信一牧師
「すべてのものの父である神は‥?」(6節−8節)これはパウロの信仰告白である。彼は「すべてのもの」と繰り返し述べている。その指し示すところは「こうして時が満ちるに及んで、、、」という1章10節を指している。同時に1章21節の地と天上における「支配」「権力」「勢力」「主権」のすべてを視野にいれて語るパウロの祈りでもある。教会はキリストの贖罪の御業を世に示し、このメッセージを地の隅々にまで満たすために昇天されたことを聖句は教える。
私たちは小さなこまごまとした事に就いて祈るが、壮大なるキリストの御業が成就するために祈っているだろうか。主は「みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ」と祈るように命じられた。限定された小さな思いの中でキリスト教信仰を理解しようとしたら間違ってしまう。キリストの遠大なご計画とみ心からわたしたちの信仰を考え見直す必要がある事をこの聖書の箇所は教えているように思う。
「すべてのものの上にあり」「すべてのものを通して働き」「すべてのものの内におられ」「すべてのものを満たすために」今も天において働いていまし給う御方キリストを見つめなくてはならない。(ヘブライ12:2)
パウロは詩編の1節を引用し「高い天に上られ」戦勝の賜物を要求する王としてではなく、「勝利のキリストは人々に豊かに賜物を賦与される御方」として表わされている。
教会は賜物(カリスマ)を神から豊かに与えられた人々であり、その特徴は、?選ばれた自覚と信頼、?キリストを主と仰いで生きる姿勢、?罪赦されて義とされたという確信に立ち、?キリスト我がうちに生きておられるという認識である。ここにしっかり立って進もうではないか。

3月の祈りと聖句

3月の祈り
人生の主よ。あなたが私を天に召される日まで共におられるあなたに信頼しつつ務め
を全うさせて下さい。

3月の聖句
あなたは善なる方、すべてを善とする方。
あなたの掟を教えてください。
(詩編119:68)

 

『神の宝の民』

 

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【先週のメッセージ要旨】
「神の宝の民」  舛田基一牧師
申命記7:6〜8
「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、ご自分の宝の民とされた。」
1:宝の民
私たちは神様から宝の民と呼ばれています。
 申命記7章では、宝とよばれながら同時に少数の民・貧弱な人々であると言われます。宝の民とは輝き資格があるから宝なのではなく、全くふさわしくないのに宝とされている事実が重大であり決定的なことなのです。
2:人間的な資格や才能や条件を第一に考えると、主のために働くなどということは不可能です。できるから・できそうだからやってみるというのは信仰的態度ではありません。教会の働きをすすめるためには、人間的な基準を超え神の召しに立つことです。なぜなら、神は私たちの過去や現在ではなく未来に目を注がれるからです。実を結ぶものとして神は小さく貧しい土の器を選ばれました。主の計画(未来)に向かって歩き始めましょう。

『何事も愛をもって』

 

              第一コリント16:1014

 

「目を覚ましていなさい。信仰に基づいて

しっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。

何事にも愛をもって行いなさい。」13-14節

 

1:パウロには愛する助手テモテがいました。問題を多く抱えているコリント教会に若く内向的なテモテを派遣することは、勇気のいることでした。パウロはテモテが心に恐れを抱くことのないように「愛の配慮」を願っているのです。自分の事だけでなく、パウロはいつも祈りの関心を拡げ痛みと愛を忘れない人でした。単なるおせっかいや好奇心からではなく、キリストにある上質の愛の配慮を目指しましょう。

2:主の仕事

若いテモテが軽んじられてはならない理由は、主の仕事(10節)をするからです。人間の仕事は経験・力量・能力が問われます。しかし、主のために働く人は人間的視点から評価されてはならないのです。主のために、主の栄光のために、主に喜ばれることを第一とするからです。

3:主の仕事の原動力は愛と勇気

テモテは若く、牧会経験は浅い働き人でしたが、彼は勇気を失いませんでした。テモテやパウロの姿勢を私たちも学びましょう。 「雄々しく強くあれ」そして「何事にも愛を」

 

 

主の過越しと羊

 

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出エジプト12:114

 「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたち

のしるしとなる。血を見たならば、わたしはあな

たたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つ

とき、滅ぼす者たちの災いはあなたたちに及ばな

い。」12:13

 

1:羊の血を家の入り口に塗る

エジプトを裁かれる神は、血が塗られている家だ

けは裁かずに通り過ぎる(過ぎ越す)と約束され

ました。家の長(夫)は大切な羊を犠牲にして血

を塗りました。尊い命が自分たちの命を守り、次

の命に繋がっている。血を通し彼らは命を守られ

る神への信仰と家族の絆を強めたのです。

 

2:旧約聖書では犠牲の象徴とされる羊ですが、他

には食用・羊毛・乳用として生活に欠かせないも

のでした。また、羊が弱く迷いやすい人の姿のた

とえとして語られます(イザヤ53章)。

バプテスマのヨハネはイエス様をみて叫びました。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」

(ヨハネ1:29)命を代価としてイエス様はご自分

を犠牲の羊とされました。

今私たちは、羊となってくださった方を羊飼いと

するのです。

「主よ、私を養い、育て、守ってください」と。

 

 

「与えられた恵み」

エフェソ3:1〜13 舛田信一牧師

エフェソ信徒への手紙はロマ、コリント、ガラテヤ、フィリピの手紙と比べて一つの特徴をもっている。それは個人的救いからもっと大きな視野でとらえている。一節は異邦人信徒に対する情熱的な祈りであり語りかけである。パウロの謙虚で情熱的な態度の原因は一体どこにあるか?三節の「系時によって、、、知らされた」とある。「秘められた計画」つまり奥義だと。「奥義」とはキリスト教信仰でもっとも重要かつ難解な問題で六節の異邦人の救いということである。この六節の事柄が秘められた神の計画であるとパウロは言っている。原典ではミュステリオンでミステリーなる語はここから出ている。奥義は人知を超えたところに存在する。これが神の業なのだとパウロは言っている。
全く神を知らなかった人々(異邦人)にこの神のご計画と御心を知らせる「神から賜った恵みの務め」にあずかる者とさせていただいたと言う。「恵みの務め」は原典ではオイコノミアテス チャリストで前者はエコノミーの語源で国家的莫大な予算を対象とした意味で使われ、チャリストはチャリティーの語源で慈善、恵みを意味している。
私たちは「この福音に仕える者として下さった」(七節)とありクリスチャンの一人ひとりの信仰姿勢を正している。お互いにこの恵みの務めにどのような姿勢で関わっていくかがこのところで問われている。12節「キリストに対する信仰」とは「イエスキリストの信仰(原文)」で(ヘブライ12:2)ピステスは信仰、忠実を意味し「確信をもって」はパレーシアで臆せず、大胆に、あけっぴろげな率直さ、気後れせず主に近づくようにと聖書記者は説いている。 アーメン

2月の祈りと聖句

祈り
主よ御言葉によって私たちに生きる道を示し、永遠の命に導き入れて下さる恵みを感謝します。


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あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリストイエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。 (フィリピ1:6)