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「真ん中に立つイエス」

 

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「真ん中に立つイエス」 舛田基一牧師

 

聖書 ヨハネ20:19-23

  『その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子た

ちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵

をかけていた。

 そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなた

がたに平安があるように」と言われた。』

 

1・     復活されたイエス様が御姿をあらわしてくださ

いました。いままでと同じ主イエス様ですが、違

いは復活された姿であらわれたということです。「真

ん中に」と訳されています。

 コミュニティーの真中を選んで入って来られたの

です。そこには行き詰り絶望に沈む弟子たちがいま

した。ユダヤ人を恐れ、心を固く閉ざしていました。

誰も寄せ付けない雰囲気でした。最もキリストに

相応しくない空気が満ちていました。

 しかし、キリストは彼らを導くために、疑うもの

を信じるものに変えるために、真の兄弟姉妹と呼び

合える交わりへ回復させるために来られたのです。

 

 教会の交わりは「礼拝・祈り・奉仕」が特徴です。

共に礼拝をささげ、共に祈り、共に仕える。

 それはキリストの「平安があるように」に支えら

れているのです。

 

3月の祈祷と聖句

 

「3月の祈祷」

キリストの生き方が私の主の生き方であるように、優しい心を配り与える者として下さい。

 

「3月の聖句」

 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。

たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手で

あなたを支える。       (イザヤ41:10)

 

 

「マラナ・タ その2」 



私パウロが、自分の手で挨拶を記します。
主を愛さない者は、

神から見捨てられるがいい。マラナ・タ(主よ、来てください)。」

                      聖書 ?コリント16;13-24

 

1、本気の愛

パウロは手紙の最後を自筆でしるしました。一番大切なことを伝えるために。

それは、神様を愛すること。主イエスを愛することでした。多くの問題を抱えていても、

神様を愛することだけは忘れてはならないのです。

 本気で神様を愛することをパウロは求めました。本気であるからこそ、愛さない者は神

から見捨てられよ!と言い切ったのです。

 普通、手紙の最後にこのような言葉は書かないでしょう。いつもパウロは本気でした。それは、主イエスが本気の愛を示して下さったからです。

 

2、マラナ・タ

最初の教会では、アーメンとハレルヤとマラナ・タが礼拝の言葉でした。主よ来てください!と賛美し祈りました。希望のゴールはイエス様との再会でした。

 この姿勢は今も同じです。日曜礼拝ごとに、私たちはマラナ・タを願って祈るのです。

 

3、私の愛

 パウロは愛に生きる人でした。言葉、行動、執筆のすべては愛を動機としていました。コリント信徒への手紙は熱烈な愛の書です。

「マラナ・タ」

 

聖書 1コリント16;13-24

「アジア州の諸教会があなたがたによろしくと

言っています。アキラとプリスカが、その家に集

まる教会の人々と共に、主においてあなたがたに

くれぐれもよろしくとのことです。」

 

1・パウロを支えた人々

 アキラとプリスカ夫妻は全面的にパウロの

宣教を支えていました。コリント書のラストから

は、パウロがチームで動いていたことがわかり

ます。一人で十人分働くよりも、十人を育て、

共に働け!です。

伝道者アポロに対しては

キリストをもっと正確に語るように指導しています。

(使徒言行録18:24)

当時、驚くことに信徒が若い伝道者たちを単に経済

的に支えていたのではなく、もっと大きな役割を果

たしていたのです。

雄弁なアポロでしたが、伝道者としての弱点をこ

の夫妻は見抜き、実際に教育・指導まで行っていた

のです。使徒言行録の時代、驚くことに信徒が若い

伝道者たちを一人前の伝道師・宣教師牧会者に育て

上げる役割を果たしていたのです。

日本では信徒は遠慮して牧師に意見できないこと

があります。儒教の影響でしょうか、生徒が教師

を教えることなどタブー視されてきました。しかし、

本当に教会が強くなるためには、実を結ぶためには、

正しくキリストを伝えるためには、アクラやプリス

カ夫妻のように主の器を鍛えることが必要なのです。

パウロはワンマンでもカリスマでもありません。

謙虚に信徒の声に耳を傾け、感謝し、共に神の

家族として宣教に励みました。自分を育ててくれた

のが普通の信徒であることを伝えたくて、1コリン

ト16章にはその名が多く記されているのです。

 

 

舛田基一牧師

裏切る者と主イエスその2

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教会の庭のバラが咲きました。



聖書 ヨハネ13:18-30

事の起こる前に、今、言っておく。

   事が起こった時、『わたしはある』という

   ことを、あなたがたが信じるようになるた

めである。 

 

  ヨハネの福音書には「私は…である」という

定型文が多くみられます。単なる自己紹介ではなく、

他の偽物との違いをはっきり際立たせるための強調

の意味が込められています。

 イエス様でなければ、愛する弟子の裏切りを知り

ながら愛すること.赦すことなどできなかったでし

ょう。

 最後の最後まで愛し抜かれた(13:1)ことを私た

ちは信じなければなりません。人の普通の感覚では

キリストの愛と赦しは理解できませんから、ただ聖

霊の助けに導かれながら本当のキリストの人格と出

会います。

 他の人が…でも、私は絶対にあなたを見捨てない

し裏切らないよ。あなたが私を捨てても、私はあな

たを最後の最後まで愛し抜くよ。そのようにキリス

トは力強く「私は…である」ことを、罪人に惜しみ

なく明らかにされるのです。

出エジプト3/13「わたしはあってあるものだ」の

言葉は、罪人を救うキリストの中に成就したのです。


舛田基一牧師

Good morning!

あるNGOを通じて、フィリピンの子どもと手紙のやりとりをしています。

文面や余白いっぱいに描きこまれたイラストから、一所懸命書いてくれたことが強く伝わってくるので、いつも楽しみにしています。

最近届いた手紙はこんな書き出しでした。

 

まず最初に... Pleasant good morning!

 “Good morning”は一番すてきな挨拶の言葉です。なぜかというと、

それは、毎日の生活への新たな希望が込められた挨拶の言葉だからです。

 

毎朝時間に追い立てられるように過ごしている自分は、「新たな希望」に心を向けることができているだろうか・・・と考えさせられたと同時に、素敵な挨拶を送ってくれた子どもに感謝です。

 

新しい日を迎えられた感謝と新たな希望をもって、一日をスタートできますように!

 

「裏切る者と主イエス」

「裏切る者と主イエス」 舛田基一牧師

13;1「イエスは、・・・世にいる弟子たちを愛し

て、この上なく愛し抜かれた。」

 主の計画があらわされるために、主イエスは裏切

られても捨てられても愛することを絶対にやめよう

とはされなかったのです。

 主の愛は真実です。私たちは主に愛されている罪

人です。主の深い      聖書 ヨハネ13;18-30

   『 イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断

言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうち

の一人が私を裏切ろうとしている。」 』

 

1.     イエス様はユダの裏切りを早い時期から知って

おられました。(ヨハネ6:70 「あなたがた十二

人はわたしが選んだのではないか。ところが、その

中の一人は悪魔だ。」)

 にも関わらず主イエスはユダを受け入れ、一緒の

生活を続けておられました。普通ならばできないこ

とでしょう。

 

 13:21「心騒がせ」 直訳すると「霊がかき乱され

た」ユダの罪は主を苦しめ、悲しませました。愛す

ることをやめれば、これほど動揺しなくて済んだか

もしれません。しかし、主は強い愛をユダにも示し

続けたのです。

 周りの弟子たちは、誰もユダが裏切り者であると

気づきませんでした。それは、主のユダに対する態

度からは全く感じられなかったからです。

愛の中で生かされていること覚え

ましょう。

2010-2011


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萱島キリスト教会のクリスマスの夜景 


2010年もあとわずかになりました。

長かったような、あっという間だったような・・・

個人的には、嬉しいこと・素直に喜べないことの両方の意味で、

思いがけないことが次々起きた年でした。

 

「人は『絶対~ない』とは言えない」という話を予備校時代に

ある先生から聞きました。話の前後は全く覚えていないのですが

(先生ごめんなさい!)、この一言が時折ふっと頭をよぎります。

それは自分自身に対しても、また周囲のことに対しても、

「絶対~ない」と言いがちだからかもしれません。

「あんなこと、私には絶対できない」

「そんなこと起こるわけない」

「あの人はそういう人。(変わるなんて、絶対ありえない。)」

挙げ始めたらきりがないほど、自分の考えを「絶対」としがちです。

 

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、

わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、

わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書 558?9

 

長年の考え方のクセは、一気には直らないかもしれません。

でも「絶対にない、ありえない!」と言いそうになるたびに、

「神様の考えは違うかもしれない・・・」と思い直しながら、

どんなことが起きても逃げずに、感謝して受け入れることができる

ようになりたいと思います。

 

もうすぐやってくる2011年に期待しつつ・・・

「1月の祈祷と聖句」

 


1月の祈祷」

主よ、速やかな救いを望まぬ者はいませんが、

それに惑わされずに、あなたの御心を悟らせて下さい。

 

1月の聖句」

神は言われた。「光あれ。」 こうして、光が

あった。神は光を見て、良しとされた。

          (創世記1:34)


「東方の学者たち」

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 「東方の学者たち」  舛田基一牧師

マタイ2:1-1

 

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。

わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

 

  学者としてではなく、仕事としてではなく

いち礼拝者として東方(おそらくアラビア地方)から

星の情報に基づいて学者たちが旅する話です。

 その目的は学者としての研究心からではなく、た

だ「拝む」ためでした。「拝む」という行為は、観

察的な立場ではありえないものです。自らを投げ出

し、ひれ伏し、明け渡すことが礼拝です。

 実際に学者たちは乳飲み子イエスの前に来て、観

察したり調べたりするようなことはしていません。

 

 学者や専門家としてではなく、一人の罪人として

救い主を拝んでいます。

 

クリスマスは、礼拝者となる時です。

すべての肩書きや重荷、気になることを横に置いて

神の子イエス様を礼拝しましょう。