メッセージ・あかし」カテゴリーアーカイブ

平和を祈る(奨励要旨)

西田.jpg
聖書 Iテモテ2:1−2  

『平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。』 マタイ5:9

1945年8月15日は、我が国の敗戦の日である。85年前に始まった15年戦争は日本始め中国東南アジアの各地を焦土とし、多くの兵士および民間人を殺傷して、天皇の録音放送で終わった。
欧州では、ドイツ、イタリアが先に降伏し、米、英、中国各首脳による、日本の無条件停戦を謳ったポツダム宣言が署名され、当初これを無視した日本であったが、広島、長崎の米国による原子爆弾投下、ソ連の参戦で宣言を承諾した。
 しばらくは平和であったがそれもつかの間、朝鮮戦争、ベトナム戦争が行われ多くの民間人が殺傷された。
 日本では敗戦の翌年『日本国憲法』が制定され、その翌年47年5月3日施行された。俗に平和憲法と呼ばれ、その9条には『戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』とある。しかし、段々とこれをないがしろに
する政策が実施されてもいる。
 世界的にも、湾岸戦争、イラク戦争、各地でおこる内乱、環境破壊が進み、一方それに対しクラスター爆弾の廃止、核廃絶への呼びかけ、さらには日本の核の傘からの離脱など平和の呼びかけがなされているが、平和は遠い。
 私たちのできる平和への貢献は、神の喜び賜う働きは、祈りである。キリストこそ真の平和であり、Iテモテ2:1−2に勧められているよう、願いと祈りと執り成しと感謝をすべての人々のため、王や高官のために、、、。神に喜ばれることです。

「頭を踏み砕くキリスト」

139-img_0655 

             舛田信一牧師と恵子伝道師

 

「頭を踏み砕くキリスト」 舛田基一牧師

 

「主なる神は、蛇に向かって言われた。お前と

女、お前の子孫と女の子孫との間にわたしは敵

意をおく。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかと

を砕く。」創世記3:14-15

 

1. 神は人間が罪を犯してもなおも関わろうとされ

ます。なぜでしょうか?すぐに罪を裁いて滅ぼし

てしまわれなかったのでしょうか。やさしく「あ

なたはどこにいるのか?」と呼びかけられます。

 

 神は愛の対象として人を創造されました。愛す

る対象への配慮と忍耐を示されます。それに比べ、

蛇に対しては問いかけることもなくいきなり呪い

の言葉です。「このようなことをしたお前は・・・

呪われるものとなった」3章14節。

 

女の子孫(イエス・キリスト)が蛇(サタン)を踏

み砕くことも預言されました。罪の誘惑を繰り返

しても、結局サタンは滅び去ります。

 

 

8月の祈祷と聖句

 138-img_0658

8月の祈祷

主よ、永遠の王なる大祭司キリストによって、

大胆に神の御前に出ることのできる恵みを感謝します。

 

8月の聖句

神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。

             (ローマ14:17)

「罪汚れはいや増すとも その2」 舛田基一牧師


基一100725.jpg

「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目

を引き付け、賢くなるように唆していた。」

創世記3:1-7

1. 新改訳聖書 6節「目に慕わしく、いかにも好

ましかった」岩波訳「目の欲を誘っていた」

3章6節を新共同訳聖書では、まるで木が生き物の

ようにエバの心に働きかけているように表現して

います。唆(そそのか)す⇒実にうまい!と評判の訳

です)エバの心が蛇の巧みな誘導にまんまと引っ

かかりました。小さな会話、小さな罪、その罪の芽

生えこそが、罪人の歴史の第一歩でした。教会は神

さまの前にこのちいさな罪に気づくところです。

2. エバ「いのち」死を呼び込んだパートナーに向か

って、夫アダムはなんと不思議な名を付けました。

すでに赦していたのです。命あるものの母と認め

ているのです。壊れかけた夫婦の関係が回復しまし

た。罪人を救おうとされる神様の働きによって。

ハレルヤ!

「罪汚れはいや増すとも」

 

127-img_0645
 

「罪汚れはいや増すとも」舛田基一牧師

「主なる神が造られた野の獣のうちで、最も賢いの

は蛇であった。蛇は女に言った。」創世記3:1-7

1.蛇と女の対話

蛇も神が創造された被造物のひとつにすぎません

が人を神から引き離す道具としてここでは登場し

ます。新約聖書の黙示録12章9節では「あの古い

蛇」という表現がありますが、蛇は悪魔をあらわす

象徴として理解されています。蛇の正体は何か?と

いうことよりもこのテキストで重要なのは蛇の誘惑

にそそのかされて、心動いてしまい罪に走った事実

です。さらに、罪を犯した自覚すら失い、ただ神に

裁かれるのではないかと恐れ、「蛇がだました」「あ

なたのくださった女が・・」と責任の転嫁に躍起に

なっているのです。これが罪人の姿です。ダビデ王

は罪を心に隠している時、「罪が魂を蝕む」経験を

しました。詩編32章34節しかし、神は罪人をその

まま放置されないで、一対一で語りかけ救いの道を

示そうとされるのです。罪汚れが増しても、主の恵

みの豊かさはそれをはるかに上回っていることを

信じましょう。

「腹を立てるな」

  舛田基一牧師

マタイ5:21-26

「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きをける。兄弟

に『バカ』と言う者は、最高法院に引き渡され、

『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」

?     礼拝に必要なささげものは、隣人に向ける愛

です。ホセア書6:6「私は愛を喜ぶ」。愛における

きよさが礼拝に求められています。礼拝は愛が生ま

れ、その愛こそが神への最高のささげものとなりま

す。主イエスは殺すこと・悪意をもつことなしに生

きることを願っておられます。人を活かし、完成に

向かわせてくださるのが主イエスの恵みです。主を

信じる信仰の中で、私たちは礼拝にふさわしい民に

変えられていきます。

「腹を立てるな」

motoiti.jpg

マタイ5;21-26

「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄

弟に『バカ』と言う者は、最高法院に引き渡され、

『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」

 

「殺してはならない」

 心に芽生えた小さな怒りや憎しみですら、主イエ

スは「殺す」ことであると言われました。極端で大

げさにきこえるでしょうか。律法を完成させるため

に私は来たのだ(マタイ5;17)と主イエスは言われ

ました。

 誰も私は殺していない、殺したことはないと言い

訳しても、神はわずかな心の中の殺しにつながる兆

しを見抜いておられるのです。

 

 主イエスの視点は神の国を基準にしています。神

の完全な支配が実現している世界(神の国)は制限

やルールによって(?しない ?しなかった?を守

った)うまれる世界ではありません。

 

主イエスは古い生き方(律法的)を打ち破り、十

字架を中心にした神の国をもたらしました。

 新しい生き方は古い束縛から新しい束縛へ移る

ことではありません。束縛を破るために主イエスは

十字架の道を歩まれたのです。

 その道は解放と自由の道です。

「聖徒の交わりを信ず」

 

 

「聖徒の交わりを信ず」   舛田基一師

第一コリント1;10-17

 

 

「さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリス

トの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手

なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思い

を一つにして、固く結び合いなさい。」          

 

1・集まる

 パウロは「心を一つにし思いを一つに」(10節)

と勧めています。キリスト教の歴史ではこのことを

大切なことと考えて実践してきました。

日曜朝に集まって礼拝するのもその証しです。一人

一人が同じ時間・同じ場所に集まる。そこにイエス

様も共にいてくださると信じて。

事実、主イエスが共にいてくださることを体験して

きました。

 

パウロはコリントの教会が分裂寸前であることを

知って心痛めています。意見の一致はみられなく

ても、信仰の一致は必要です。使徒信条は古代教会

がひとつになるために書かれたものです。

違いがあるのは当然ですが、同じ主を信じているこ

と、同じ主に愛され召されたことを忘れてはなりま

せん。罪深い私たちは放っておけば分裂していく傾

向にあるのです。どこまでもキリストによって一つ

であることを信じて集まり続けることが教会に生

きるということです。それは、分裂しかけている世

界を一致に導く第一歩につながるのです。

 

 

「主の前に誓う」

118-img_0598

「主の前に誓う」  舛田基一牧師

マタイ5;33-37

「しかし、わたしは言っておく。一切誓いを

たててはならない。天にかけて誓っては

ならない。」

 

1.誓いは確かなものでなければなりません。教会は

他の何ものにも強制されずに、神と会衆の前で誓う

場です。

洗礼式、入会式、献児式、役員選出、長老選出他、

新しい牧師を迎えることにおいてもすべて礼拝の場

で「誓約」します。礼拝におけるアーメンとは、ま

さに誓いのしるしです。

一度神の前で誓ったことに対して、ひとりひとり

が本当に誠実であったならば、神は祝福してくださ

います。

 

どうして主イエスは誓うなと言われたのでしょう

か?

 神の前に誓いながらも、神との正しい関係におい

てなされていないからです。自分にとって都合のい

いことを保障してくれる神を求めているにすぎない

からです。ペトロは誓って「そんな人は知らない」

と呪いをかけて誓い・・(マタイ26;72)


  

主イエス様を忘れた誓いは危険です。神と人との

関係を回復するために主は働いてくださいますか

ら、大切な誓いをする時は主のとりなしを求めまし

ょう。

イザヤ60;19

「霊に導かれて生きる」

113-img_0596
「霊に導かれて生きる」  舛田基一牧師

 

ガラテヤ5;22-6;2

「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの

罪に陥ったなら、霊に導かれて生きている

あなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい

道に立ち帰らせなさい。」

 

1  主の霊に導かれることなしには、健全な教会を

建てあげることはできません。主イエスの復活後、

聖霊は教会に与えられました。その証拠は信仰の告

白と聖徒の愛の交わりがあることです。

 

2  万一だれかが(6;1)とありますから教会は罪を

犯した信徒にどう対処すればいいのか、いつもたた

かっていました。人の失敗や弱さを、愛のない一方

的な冷たい目でみるのは「肉」の性質です。ノアの

醜態を批判的態度で接した

父ハムと息子カナンは神の裁きを受けました。

(創世記9;20)

 

「肉」の思いではなく、「霊」に導かれるならば

柔和な心で優しく&やわらかく相手と関わる事が

できます。肉的怒りや個人的正義心は古い罪の性質

ですから十字架に捨てる必要があります。

主イエスさまのような柔和な心を霊は私たちの

内に創り上げてくださいます。